薩摩焼とは
薩摩焼は薩摩藩(現・鹿児島県)で製作された焼き物を言います。
始まりは今から約400年以上前になる文禄・慶長の役(やきもの戦争)において、朝鮮出兵をした薩摩藩藩主・島津義弘によって朝鮮人の陶工達が日本へ連れてこられたことから薩摩焼は始まりました。
薩摩焼は主に5系統と2つの分類に分けることが出来ます。
5系統は、苗代川系や龍門司系、堅野系、西餅田系、磁器系に分かれ、2つの分類は「白もん」と「黒もん」に分けられています。
ただ、現在でも残っているのは苗代川系と龍門司系、そして堅野系の窯3つだけとなってしまいました。
薩摩焼の産地について
薩摩焼の産地であった鹿児島県には、焼き物の元となる陶石の採掘場所が南さつま市京之峯にあります。
ここで取れる陶石は近年に及ぶまで苗代川系や竪野系など、多くの薩摩焼で使用されていました。
京之峯を中心に薩摩焼が作られるようになったのは間違いないと言えるでしょう。
白もんで使用されている指宿カオリンという原料は、薩摩藩の中で数ヶ所原料が採取できる場所があり、江戸の幕末から明治時代にかけてはこの原料は白もんには欠かせない原料として使われていました。
薩摩焼の特徴
薩摩焼の特徴を白もんと黒もんに分けてご紹介します。
白もんの特徴はその名の通り、白陶土を使い透明釉を掛けて仕上がったもので、表面には細かくひびのようなものが入っているように見えます。
美しい白さを持つ白もんは、民衆向けではなく当時の藩主だった島津家や偉い人達だけが使っていました。
金や赤、緑などの鮮やかな絵付けが施されているものもあり、豪華なその装飾に見る人を圧倒させ魅了しています。
黒もんは白もんとは違い、黒い姿をしています。
これは火山地帯である鹿児島県ならではの鉄分を多く含む土を使って焼き物を作っているため、その鉄分が反応し焼きあがった後は黒く仕上がるのです。
この焼き物はとても頑丈であり、土瓶や燗などの日常的なものとして庶民に親しまれてきました。