萩焼とは

萩焼とは

萩焼とは、山口県の萩市一帯で焼かれている陶器で、主に茶の湯で使われる茶陶が有名です。

長州藩の藩主であった毛利輝元は茶人であった千利休や古田織部と交友が深く、豊臣秀吉の命令で日本に招かれた朝鮮の陶工であった李勺光と弟の李敬の預け人となりました。
慶長5年の関ヶ原の戦いに敗れて領土を削られてしまった毛利輝元は、慶長9年に広島から萩へ移ります。
その時、預けの身であった李兄弟も萩へ移り、兄弟は俸禄を賜る御用窯に作陶した事から萩焼が発展しました。

萩焼の歴史

萩藩(長州藩)の御用窯で萩焼が発展したその後も、数々の陶工に技術が受け継がれています。
明治維新以降は社会の近代化に合わせて個人や企業営業で窯元が発展していき、生産性を意識した多種多彩の萩焼の製造が増えていきました。

しかし大正時代を迎えると伝統的な素材と技術を使った、茶陶の生産が再び主流となり、昭和初期まで継続されました。
太平洋戦争前後には個人作家による作陶活動が盛んになった事により、現在では日本を代表する陶芸文化として、2002年には経済産業省によって伝統的工芸品に指定されました。

萩焼の特徴

萩焼の特徴は柔らかくふっくらとした質感の陶土を使用しており、柔らかな風合いが特徴的な焼き物です。
土が粗いので浸透性や保水性、保湿性が高くなっています。
浸透性が高い事から、長年使っているとお茶やお酒が浸透し、茶碗の色が変化する特徴もあります。

この変化がお茶をたしなむ人達からは、「茶馴れ」や「萩の七化け」と呼ばれて親しまれているそうです。
しかし、手入れを怠るとカビが生じる事もあるので、手入れはマメに行う事がとても大切です。

そして、萩薬の作風は土の風合いを生かし、絵付けといった装飾はほとんど行われず、形も簡素さがあります。
土の配合や釉薬のかけ具合、ヘラ目や火加減などで独特の表情を引き出しているのです。
最近では技術進歩が進み、またデザイン性のある陶器を求められる事から、茶道具以外にも日常に使われる食器や小物など、様々な色合いとデザイン性のある萩焼も増加傾向にあります。

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