美濃焼の歴史
美濃焼は、美濃地方で生産された陶磁器の総称です。
岐阜県の土岐市・多治見市・可児市・瑞浪市が主な産地として知られています。
美濃焼の歴史は古く、その始まりは平安時代の須恵器(すえき)からと言われています。
時代と共に生産時に使用する窯の形や大きさが変化し、10世紀の初め頃には灰釉をかけて造られた「白瓷(しらし)」と呼ばれる焼き物、13~15世紀にかけては瀬戸窯で造られた「古瀬戸(こぜと)」と呼ばれる焼き物が盛んに造られていました。
15世紀末にはそれまで使われていた窖窯よりも熱伝導が良くなる大窯を安土桃山時代まで約130年という長期間に渡って使用し、前期には茶碗や花瓶・後期には「黄瀬戸(きぜど)」「志野(しの)」「瀬戸黒(せとぐろ)」等が生産されました。
この次代である「織部(おりべ)」までが美濃桃山陶にて最も華美な時代であったと言われています。
明治時代には生産や販売が自由化され万国博覧会等でも高い評価を受けた事から輸出も増加していきました。
1300年の歴史と伝統を受け継ぎ、技術の進歩や技法の更なる向上・発展を続け、現在も各地で美濃焼に触れられる展覧会等が盛んに行われています。
美濃焼の特徴
美濃焼は自由な発想で生産されたそれまでにはない新しい焼き物として、その作家は重要無形文化財指定保持者(人間国宝)として認定されています。
美濃焼の産地には多くの窯元が存在し、食器や神仏具まで私達の身の回りにある陶器のほとんどが美濃で生産されていると言っても過言ではありません。
多種多様な用途に応じ様々な物を生産していることがら、「これが美濃焼である」と明確に一言では言い表せないというのが特徴でもあり、それほどに美濃焼は1つの形にこだわらず、多面的な品物を生産してきたという証拠でもあります。
更に、問屋(美濃焼を販売する)の多い多治見市が主産地として有名ですが、実のところ窯元(美濃焼の生産を行う)が最も多いのは土岐市であり、本来の主生産地は土岐市とも言われています。