錦絵の歴史
錦絵とは江戸時代に成立した絵画ジャンルで、浮世絵の一種と言われています。
浮世絵は時代の風俗を描いた風俗画で、錦絵はその浮世絵版画の最終形態とされています。
江戸時代から明治30年代くらいの長い間に渡って民衆に親しまれてきました。
なぜなら浮世絵は現代を描くことが多く、最先端の風俗であったり、話題を追って描かれることが多く、美人画や役者絵などが描かれると、現代で言うファッション誌や芸能人のポスターの代わりのような役割となったため、庶民にも馴染みやすかったのです。
浮世絵は黒摺りが主流でしたが、飽き足りない庶民から豊かな色使いを求められ、版で彩色を始めていくことで、色とりどりな版画が多く生産できるようになりました。
この時に色版木を重ねて、多色摺版画が豪華になっていき、これを絹織物の錦に匹敵するほど美しいといったことで、錦絵と呼ばれることになりました。
錦絵の特徴
錦絵の特徴は鮮やかな赤を使われることが多く、その理由として人口顔料が輸入されてきたことがきっかけとなっています。
輸入顔料が来たことで、浮世絵の色合いもはっきりと鮮明になり、赤が目立つところから赤絵と呼ばれるようになるほど、インパクトのある仕上がりになっています。
ですが、赤以外にも青、紫なども原色のまま使用されており、これによって、一気に華やいだ印象へと変化している点が、まさに時代を象徴していると言っても過言ではありません。
この錦絵の鮮やかさを活かして、新聞を題材に作られた錦絵新聞というものもありましたが、芸術作品としてはなかなか評価されずに衰退していきました。
錦絵の有名作品
美人画は広く知られています。
健康的な女性が多く、喜びや楽しさなどの表情を表現した作品が多くなっています。
寛政三美人が有名で、女性の表情に美を追求しており、顔を中心とした構図が特徴的です。
三代目大谷鬼次の江戸兵衛が有名で、突如浮世絵界に表れてから約10ヵ月の間に多くの作品を発表したかと思いきや、姿を消してしまった謎の多い浮世絵師です。
役者の顔や表情を独特の表現法によって描き、強烈なインパクトのある作品が多く残っています。