王鐸について

王鐸について

王鐸とは

王鐸(おう たく)は、明末清初の官僚ですが、書家としても活躍していました。
字(別名)は覚斯・覚之で、雅号は嵩樵や十樵、擬山園などで、容姿は大柄で長くて立派な髭を生やしており、まさに中国高官に適した風貌だったようです。
30歳の頃に官僚登用試験で進士に合格して明朝に使え、学問では歴史や詩文章画が得意とされています。
王鐸は書道でよく用いられる細長い紙(条幅)に、行草体で豪快に書き上げられた作品が特徴的で、王鐸の書風は最上指標と高く評価されていることから、現代の書壇でも広く学ばれています。
日本では、日本書家の村上三島戦線により広まったとされているようです。

王鐸の経歴

明朝では礼部尚書という高官の地位に昇りつめましたが、赴任前に清軍が江寧城に追い、明朝は降伏しました。
その後、弘文院学士として清に迎えられ、とても優遇されていたことから、清でも礼部尚書にいたりました。
明朝と清朝の両方に使えたことから周囲から批判を受けていましたが、王鐸の心の中には明朝に対する強い思いがあったようです。
そもそも清朝に仕えた理由には、王鐸が学問的に優れた人物で、また王鐸の勢力下にも有能な人物が多かったため、強い要求を受けたからとされています。
官僚として活躍する中、詩書画の才能も評価されており、書は独特の書風で名を残しています。
自由気ままに過ごすうちに感じた感情を表現している書は飾りっけがなく、ありのままの表現で描かれた山水画は王鐸自身を表しているようです。

書風の特徴について

王鐸の書風は連綿体で、強い線と従来の形を破った結体で書いているのが特徴的です。
リズム感や勢いを感じる作品は見ている人の心を動かし、楽しい気持ちにさせると評価されています。
通常、筆を走らせた運筆は感情を捉えにくい印象を与えますが、王鐸の作品は1文字ずつの間隔に余裕があることから、リズム感のある作品になっているのでしょう。
誤字もあるので意味を理解しにくい作品もありますが、書く時は自分の言葉を大切にしていたことが伝わります。

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