川合 玉堂について

川合玉堂とは

川合玉堂は1873年11月24日、愛知県葉栗郡外割田村で生まれ、岐阜で育ちました。
両親は筆墨紙商を営んでおり、12歳の頃から絵を嗜むようになりました。
14歳の頃に四条派の日本画家であった望月玉泉の門下に入り、その後に教育者として名高い幸野楳嶺の門下に入って円山・四条派を学んでいます。
1890年、当時17歳の頃に「玉堂」と号するようになり、第3回内国勧業博覧会では「春渓群猿図」と「秋渓群鹿図」が入賞を果たします。
23歳の頃に東京へ上京して橋本雅邦を師範に狩野派を学びます。
日本美術院には創立当初から参加しており、私塾の主催や文部省美術展覧会の審査員、東京美術大学の教授、帝室技芸員を任じられ、日本画壇の中心人物として活躍しました。
第二次世界大戦中は写生に訪れることが多い東京都の現・青梅市御岳に居住し、死去するまでこの地で過ごし、死後は御岳渓谷に香淳皇后や諸団体、地元有志、川合玉堂のファンなどの支援と寄付により、1961年に川合玉堂美術館が開館され、現在も貴重な資料が展示されています。

川合玉堂の画風や代表作について

川合玉堂は自然をとても愛しており、日本の四季や山河を描いた作品が多く、自然の中で生きる人々や動物の姿が墨線と色彩により描かれています。
円山・四条派の基礎と狩野派の様式を用いて描いており、それに加えて各地の風景を実際に見ることで、従来の山水画から近代的な風景画を開拓していきました。
奥多摩に留まる晩年は今までの画風にくらべて温かみのある画風に変化しています。
川合玉堂の描く風景画は見る人を癒すとも言われており、交流のあった芸術家にも高く評価されていました。
そんな川合玉堂の代表作をご紹介しましょう。

・「二日月」(1907年)
絹本彩色の作品で、秋の夕暮れと済んだ空気を忠実に再現しています。
東京勧業博覧会では一等賞を受賞し、現在は東京国立近代美術館に貯蔵されています。

・「行く春」(1916年)
長瀞からの川下りを楽しんだ時の自然景観をモチーフにしたとされる、絹本彩色六曲一双屏風の作品です。
現在は東京国立近代美術館に貯蔵されており、重要文化財にも指定されています。

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