伊孚九について
伊孚九とは
伊孚九(いふきゅう)は、中国の浙江省湖州出身の画家と知られていますが、清時代中期の貿易商人でもありました。
1720年に馬を仕入れる貿易商として長崎へ初渡来し、6回ほど来日しています。
幕府に清朝国禁の軍用馬を御用馬として運んできた功績で褒賞を授与している記録があり、本業が画家ではないことがはっきりしています
その一方、余技に南宗文人画風の技法を身に付けており、山水画を描いていました。
山水画とは中国で発達した絵画で、山岳や河川といった自然を題材にしており、単純な風景がではなく創造上の景色が中心です。
伊孚九の山水画を江戸時代中期の文人画家で美術評論家の桑山玉洲が高く評価し、それをきっかけに日本に南宗画が伝わったとされています。
伊孚九を評価した桑山玉洲や池大雅、野呂介石、石悟心元明などの画家は伊孚九を模範にして学び、のちに日本の文人画壇に大きな影響を与えることになります。
日本では画家として認められている伊孚九ですが、中国の画史・画伝で伊孚九の名はないので画家と認知されておらず、また遺品もわずかしかありません。
全国に伊孚九の名が知れ渡ったきっかけは「伊孚九・池大雅山水画譜」という冊子です。
これは江戸時代中期の書家・韓天寿が画譜にしていた稿本を刊行したものです。
伊孚九の代表作「離合山水図」
伊孚九の代表作「離合山水図」は国の重要文化財に指定されており、三重県松阪市の長谷川家で個人所蔵されています。
最初は別の人物が15金で入手しましたが窮乏により12金で売ろうとしたら、それに惜しむ松阪の豪商・長谷川家が30金で買い求めたようです。
このことから、伊孚九の作品は高く評価されていることが分かるでしょう。
伊孚九が渡来して以来、清の商人であり画家の費漢源や清人画家の張秋谷、江稼圃も日本に渡来し、この4人は日本に南宗画を伝えた「来舶四大家」と呼ばれています。
日本の画史でも高く評価されている人物であるため、伊孚九の作品は現在の中古市場でも高評価で取引されています。