石黒宗磨とは
富山県射水市久々湊出身の石黒宗磨は、中越汽船社長である筏井甚造の四女めなの子どもとして生まれました。
1918年に中国宋時代の陶器・曜変天目の魅力に引き付けられ、陶芸家を志した石黒宗磨は、京都市左京区八瀬に窯を開きます。
この窯では数多くの作品を生み出し、終の棲家にも選んでいる場所です。
代表作である「木の葉天目」を生み出すまでに長い年月がかかりましたが、その後は日本で初めての人間国宝に認定され、新湊市名誉市民に推挙されるなど功績が讃えられています。
また、1963年には紫綬褒章を受章し、1968年には勲三等瑞宝章を受章しました。
勲三等瑞宝章を受章した年の3月に老衰で死去しています。
人間国宝・石黒宗磨の代表作について
石黒宗磨は様々な作品を生み出していますが、その中でも黒釉の茶碗や鉢は非常に知名度が高くなっています。
黒釉地に木の葉を焼き付けた「木の葉天目」の焼成に成功したことによって、幻の技法を復活させたとも言われています。
石黒宗磨は、黒釉だけに捉われた技法で作成した作品だけではなく、勢いを感じさせる「刷毛目」や茶色に発色する「柿釉」、現地で技術を習得した「唐津」、鮮やかな色合いが美しい「宋赤絵」、西洋美術風の「線刻」、最期の作品となった「楽」など多彩な作品を作っていました。
非常に多彩な作風を持つ陶芸家であったため、1人で作ったとは思えないような作品を楽しむことができます。
このように様々な技法を活用していた石黒宗磨ですが、「チョーク描」という珍しい技法を使った作品も残されています。
「チョーク描」は、陶磁器用の絵の具を棒状に固めたものを使って絵付をする技法で、戦後間もなく石黒宗磨はこの技法を取り入れ始めました。
「白地チョーク描薔薇文鉢」がその技法の代表的な作品です。
様々な作品を生み出していますが、陶芸に関して妥協をすることがなかった石黒宗磨の作品は、一釜分焼いても売るのはそのうちの4~5個と非常にこだわりの詰まっているものなのです。