金城 次郎について
金城次郎とは
金城次郎とは、1912年(大正元年)12月3日に沖縄県那覇市で誕生した沖縄を代表する陶芸家です。
幼い頃から近所に壺屋の窯があったこともあり、壺屋焼きには親しみがあったようで、1925年に新垣栄徳の製陶所に入門し、わずか12歳にして陶工として歩むことを決意しました。
この時に、新垣栄徳を通じて生涯交流を続けることとなる浜田庄司と出会います。
途中戦争で中断してしまいますが、1945年に沖縄戦終結後に壺屋に仕事場を持って独立し、浜田庄司や河井寛次郎らの指導を受けながら戦後に窮乏してしまった壺屋の陶工を救うために力を注いでいきました。
1954年(昭和29年)に、第6回沖縄美術展覧会に工芸部門が新設されたため、新垣栄三郎と小橋川永昌と出品し、1955年(昭和30年)第29回国展に初入選となります。
1958年(昭和33年)には、ルーマニア国立民芸博物館に「魚紋大皿」と「抱瓶」が永久保存され、同年12月には東京三越本店で「沖縄壺屋三人展」開催します。
1972年(昭和47年)に、読谷村座喜味(よみたんそん ざきみ)に移転して沖縄県指定無形文化財技能保持者にも認定されました。
また1977年(昭和52年)には、現代の名工として労働大臣に表彰され、1985年に人間国宝、沖縄県功労章受章となりました。
金城次郎の作品の特徴
陶工としての才能を若い時から頭角していた金城次郎の作品は、益子焼の陶芸家でもある浜田庄司の影響が大きくあったようです。
人間国宝に認定され、紫綬褒章や文化勲章受章者でもある浜田庄司は、金城次郎に「沖縄独自の焼き物を作れ」と言っていたようで、以前から郷土に対しての愛着があった金城次郎は、その言葉の通り琉球陶器のみを作陶し続けました。
そのため、魚や海老が描かれた作品は沖縄の琉球陶器だと思われがちですが、これは金城次郎の功績によってのものだと言えるでしょう。
困難な状況の中でも、自分らしい陶芸を続けていった結果、金城次郎の作品として確立したものが魚と海老の絵柄だと言われています。