奥村 土牛について
奥村土牛とは
奥村土牛は、現代日本画家の代表的な人物でもあり、1962年には文化勲章も受賞された日本画家です。
奥村土牛という名前は号であり、本名は奥村義三と言います。
元々東京府東京市京橋区、現在の中央区京橋一丁目出身で元々画家を志望していた父のもとで子どもの頃から絵画に触れてきており、16歳の頃には日本画家・梶田半古の門を叩き日本画家としての道を歩み始めました。
当時は梶田半古の塾頭だった小林古径を師事しており、その2年後には東京勧業博覧会において「敦盛」という作品が入選を果たします。
その後も中央美術賞の受賞や院展での入選や日本美術院院友への推挙、第1回帝国美術展において推奨第1位となるなどの功績を残しました。
また、美術学校の講師でもあった奥村土牛は、帝国美術学校で日本画家教授を務めたり、東京美術学校の講師をしていたりしていましたが、最終的には日本美術院の理事長に任命されています。
初めて入選を果たした18歳から、奥村土牛は20年間地道に絵画に取り組んでいました。
遅咲きではあるものの院展で入選を果たしてからは徐々に注目されていき名声も得ていましたが、作品作りには余念がなく101年の生涯を遂げるまで絵を描き続けたと言われています。
作品の特徴
奥村土牛の作品の特徴としては、若い頃に門を叩いた梶田半古や師事していた小林古径の影響を受けて、写生や画品に重点を置いています。
また、ハケを使って胡粉と呼ばれる顔料を何度も塗り重ねていくことで、豊かで繊細な色味が表現されています。
温かみのある作品が多いことが特徴的です。
有名作品
奥村土牛は生涯をかけて多くの作品を残していますが、有名な作品としては「鳴門」が挙げられます。
奥村土牛の夫人が徳島県出身であり、その時に見た阿波の鳴門を写生し、作られています。
構成としては海と渦、そして奥に見える島影というシンプルなものになっていますが、この作品で描かれている波の立つ様子や渦を巻いている部分を見ていると、まるで渦の中に攫われてしまうかのような迫力が感じられる作品です。
この他にも、「富士宮の富士」や「醍醐」、「吉野」などが有名作品として挙げられます。