斎藤茂吉とは
斎藤茂吉は、1882年に山形県に生まれた有名な歌人です。
「野菊の墓」や「隣の嫁」などを代表作に持つ伊藤左千夫の門下に入り、短歌結社誌であった「アララギ」における中心人物の一人でもあります。
そんな斎藤茂吉は、歌人としての一面も持ちながら精神科医としても働いていました。
元々茂吉は守谷家の三男として生まれたのですが、貧困であったため進学する余裕もありませんでした。
しかし、同じく山形県出身で東京に医院を開業したが跡継ぎがいないことに悩んでいた斎藤紀一が優秀だった茂吉を養子候補として呼び、東京に住まわせたのです。
そのおかげで茂吉は進学することもでき、さらに東京帝国大学医科大学医学科を卒業するまでに至りました。
結果的に、茂吉は斎藤紀一と同じく精神科医として働き、紀一の跡を継いで青山脳病院院長を務めることになります。
医師として働きながらも数々の歌を制作し、歌集や歌論、随筆なども手掛けていました。
斎藤茂吉の作品について
斎藤茂吉の作品の中で最も有名な歌集は、第一歌集である「赤光」と言えるのではないでしょうか。
赤光とは阿弥陀経にちなんで付けられた名前で、その由来は守谷家の隣にあった浄土宗・宝泉寺の住職に感化されたことが影響していると言われています。
赤光の中にある作品としては、例えば「白き華しろくかがやき赤き華赤き光を放ちゐるところ」、「のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり」などが挙げられます。
赤光以外にも「あらたま」や「つゆじも」、「ともしび」、「のぼり路」など、多くの歌集を発表しました。
斎藤茂吉の作品を買取りに出すなら?
斎藤茂吉の歌集や歌論、随筆はとても価値の高いものです。
基本的には大正時代から昭和前期にかけて発表された作品となりますが、保存状態が良ければ買取り価格も高値が期待できるでしょう。
できるだけリサイクルショップなどよりも古書などにも精通した鑑定士が在籍しているお店を選んで買取りに出すようにしましょう。