加守田 章二について

加守田 章二について

加守田章二とは

加守田章二とは、1933年(昭和8年)4月16日に大阪府岸和田市に誕生した、20世紀の陶芸界をリードし続けた陶芸家です。
高校時代から油絵に興味を持ち、その美術に関する才能は飛び抜けているものでした。
高校卒業後に油絵を学ぶ意欲を持っていましたが、京都市立美術大学(現・京都市立芸術大学)に進んだ後は油絵を断念して、教授となる富本憲吉のもとで、陶磁器の指導を受けてさらに深く究めていきました。
そのきっかけとなったのが、茨城県日立市の大甕窯へ実習に行ったことで、この時に初めて作陶者がそれぞれ窯を持っていることに強く惹かれたそうです。
卒業後、学長である長崎太郎と教授の富本憲吉から薦められた、茨城県日立市の日立製作所関連の製陶所で技術員となりましたが、加守田章二はこれを辞退して、派遣研究員となって1959年に栃木県益子町に窯を借りて研究を始めました。
その後退社・独立して、本格的に作陶生活を送ることになります。
独立当初は石灰釉や飴釉、灰釉などを手がけていき、益子の民芸調とは異なった文様が不評でしたが、1961年に日本伝統工芸展に鉄釉作品を出品したところ初入選しました。
それ以降、日本伝統工芸展に連続入選を果たし、1967年に陶芸家として唯一の第10回高村光太郎賞を受賞しました。
また、岩手県遠野市の地形などに魅せられ、遠野市青笹町糠前字踊鹿に新しい陶房と単窯、住居を設けて弟子と2人でひたすら修行僧のように制作していきました。
作風が独創的で、デザインも共に追及した作品が多く、作風の頻繁な変化に今までの陶芸からは想像もできない作品を多く残していきました。
1974年に、40歳で陶芸家初となる芸術選奨文部大臣新人賞(美術部門)を受賞しましたが、49歳という若さで白血病により夭逝しました。

加守田章二の作品の特徴

加守田章二の作品は、ギリシャ彫刻がまとっていたドレープを取り入れた「曲線彩彫文」や縄文土器の時代を思わせるような「彩陶壺」など、造形性豊かさ作品を多く残しています。
今までの陶芸界では使われなかった造形が多く、それが新鮮であり斬新で個性でもありました。
新しい形を生み出した加守田章二の作品は、骨董品としての価値も高く、高値で買取りされています。

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