浄林について

釜師を排出する大西家とは

釜師・大西家は、初代の大西浄林が弟2人と都へ上楽した後に、三条釜座の座人となったことが始まりと言われています。
現代でも活躍を続けている大西家は、伝統的な家元の1つと言えるでしょう。
初代の大西浄林は1590年生まれで、当初は広瀬という性を名乗っていました。
浄林の作品は、千家十職での評価も高く、蘆屋風で鮮明な地文非常に侘びを感じさせる作品を多く生み出していたのです。
その後16代に渡って数多くの作品を生み出すことになる大西家の初代・浄林は、多くの努力を積み重ねて開拓をしていったのでしょう。
その後、2代目・定林が「きれいさび」の作風を確立させるなどの活躍をしたことで江戸大西家を興しました。

浄林の作品について

大西浄林は、千家十職の釜師として様々な作品を数多く生み出しました。
それまで釜の常識だと考えられていたものを変革させた人物でもあり、当時はかなりの異質な存在感を放っていたと言われています。
また浄林は、大名家の興隆期にぴったりの作風で書院向きの釜を多く作ったことでも知られています。
高い技術力と浄林ならではの造形力で多くの名作を生みだし、大きな功績を残すことに成功したのです。
特に、「霰甑口撫肩釜」は浄林の代表作と言われている作品で、その造形力からは風情を感じることができ、非常に魅力的な作品であると言われています。
その他にも、色艶が美しく女性の肌質を思わせるような「糸目真ノ釜」、や「撫肩衝釜」、「姥口撫肩釜」なども浄林の代表作として知られています。
江戸時代最高の釜師と言われている浄林は、常に勢力的に作品を作っていたことから、釜への思いや職人としての姿勢を伺うことができるのです。

浄林の作品を売るなら専門の鑑定士へ

浄林は初代大西清右衛門として大変貴重な作品を残しています。
そんな貴重な浄林の作品が手元に残っていて売ることを検討されているという方は、古物に精通している専門の鑑定士に相談するようにしましょう。
専門の鑑定士であれば浄林作品の正しい価値を見極めることができます。

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