秋野 不矩について

秋野不矩とは

秋野不矩は、静岡県磐田郡二俣町(現在は浜松市天竜区二俣町)に生を受けた日本画家です。
1908年に誕生し、2001年の93歳で逝去されるまで多くの作品を描き入賞や受賞を果たしています。
19歳の頃から日本画家として知られる石井林響や日本画家でもあり京都美術大学の名誉教授でもあった西山翠嶂に師事し、絵画を学んでいきました。
しかし、日本画家に師事していましたが、日本画のいわゆる「花鳥風月」を嫌っており、新たな日本画を生み出すことを目的とした「創造美術(現在の創画会)」を40歳の頃に結成することになります。
創造美術には秋野不矩以外にも上村松篁や広田多津、福田豊四郎、山本丘人、吉岡堅ニなどが結成メンバーとして含まれており、これらのメンバーと共に日展を離れることになります。
50代になると今度はインドに魅せられ、インドの風景やインドの材料を使って絵画を描くようになります。
また、インド以外にもアフリカの各地を訪れ、その土地の風景や建物、風俗などをモチーフとした絵画を晩年まで多く描き上げました。

秋野不矩の作品について

秋野不矩の作品は元々これまでの日本画とは一線を画すような描き方をしており、質感が絵画を見るだけで感じ取れるほどの作品が多く見られます。
その中でも「砂上」は初めて入選した作品であり、その2年後に描いた「紅裳」は第2回新文展の特選を受賞しています。
50代を過ぎると上記でも紹介したように、インド関連のモチーフを題材にした作品が中心となりました。
例えばシャンチニケータン近郊にあるサンタル村というところの風景を描いた「平原落日」やヒンドゥー教で救済の神として知られるシヴァを描いた「行者シヴァ」、まるで海のようなガンジス河を描いた「ガンガー」などはまさにインドの魅力が描かれた作品だと言えるでしょう。
秋野不矩は1999年に文化勲章も受章されている画家でもあります。
秋野不矩の作品が寄贈されておらず残っている場合、高値になる可能性は十分に考えられます。

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